自分を否定することは未だ多々あるけれど
以前ほど、これがなくなったら死んでしまうとか終わってしまうとか
思いつめた発想はしなくなった

これはこういうものだ、と割りきれるようにもなったので
傷つく頻度も減ったし
ある程度、安定している、という風に感じる
これが治癒したということか、と最近は思っている

ポップロックを聞くことができるようにもなった
破壊衝動も減った
けれどやっぱり曖昧だと思う

M嗜好だとかそういうことではなくて
「痛みがない」っていうのは
「死んでいる」ということと同じではないのか
という風に感じなくもない

たとえばこの年にまでに
笑顔が素敵なあたたかい人たちをたくさん見てきたし
人間性をかなぐり捨てた獣みたいなあくどい人間もたくさん見てきた
でも私はそのどちらにも属することが出来ないだろう、と思う

確か高校生の時に
私にとって生きるということは感情を硬化させ、削ぎ落とし
それを見ないこと、他として扱うことだ、と
強く思った事を思い出したけど
今ではそれがどれだけ正しくない考えだったかわかるし
そうしなければ感情の行き先がなかった、
そういう風に育てた
母親を心底憎いと思いもする

あの時からもう全て始まっていて、
生きてきた全ての要素が起因していて
深く根付いて、絡み付いて
きっと取りはがすことは出来ない
ゆるゆると根幹の起伏を撫でさすってここから先
少しでもまっすぐに健全に伸びていくようにしか。


自分を許せる温かい人に出会えて気づけただけましなんだろうけど。


ガラパゴスは進化の宝庫だと言うけど
一般とは違う、進化をしたあれらは、
行き詰まり達の集合ではないのか
と考えたりもした。




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