友人から聞いた話で、
人が死にかけた時、本当にギリギリの境界線を越えると
逆に気持ちよくなるそうです。
多分、雪山で遭難した人が眠くなるのと一緒で、
ある程度の域を越えると、死の恐怖を越えて
安楽した気分になるらしい。
それは科学的にも証明されていて、そう行った状態にまでなると
脳から安楽するような物質が出るようになることまでわかっているらしい。
昔、子供の頃、琵琶湖に遊びに行って溺れ、
死にかけで救出された経験を持つ別の友人が
「知ってるか、本当に溺れて死にそうになったら、
苦しいんじゃなくて気持ちよくなんねんで。
ほんま目の前がほわーってすんねん」
って言ってた言葉を重ねて思い出して
それから最近少し読んだサンテグジュペリの「夜間飛行」にも
遭難場面で似たような描写があったのも思い出した。
それで、友人が言うには
その死の恐怖を飛び越えて、安楽するための物質が脳から出て
恍惚状態になった時が「天国」なんだという説がある、
という事を教えてくれました。
その恍惚状態で見る世界がいわゆる三途の川や、
天国といわれるようなものである、という事らしいです。
それを聞いてなるほど、と思って。
とても興味深い話だなと思って、
でも、だとすれば天国というものも
結局は人の脳が脳が認識してるものでしかないんだなと思って。
神格化されるようなものでなくて
人が認識する世界の一部なんだなと思って。
不思議なものだな、と。
人が死にかけた時、本当にギリギリの境界線を越えると
逆に気持ちよくなるそうです。
多分、雪山で遭難した人が眠くなるのと一緒で、
ある程度の域を越えると、死の恐怖を越えて
安楽した気分になるらしい。
それは科学的にも証明されていて、そう行った状態にまでなると
脳から安楽するような物質が出るようになることまでわかっているらしい。
昔、子供の頃、琵琶湖に遊びに行って溺れ、
死にかけで救出された経験を持つ別の友人が
「知ってるか、本当に溺れて死にそうになったら、
苦しいんじゃなくて気持ちよくなんねんで。
ほんま目の前がほわーってすんねん」
って言ってた言葉を重ねて思い出して
それから最近少し読んだサンテグジュペリの「夜間飛行」にも
遭難場面で似たような描写があったのも思い出した。
それで、友人が言うには
その死の恐怖を飛び越えて、安楽するための物質が脳から出て
恍惚状態になった時が「天国」なんだという説がある、
という事を教えてくれました。
その恍惚状態で見る世界がいわゆる三途の川や、
天国といわれるようなものである、という事らしいです。
それを聞いてなるほど、と思って。
とても興味深い話だなと思って、
でも、だとすれば天国というものも
結局は人の脳が脳が認識してるものでしかないんだなと思って。
神格化されるようなものでなくて
人が認識する世界の一部なんだなと思って。
不思議なものだな、と。
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